再び、「浅草寺観音様発祥地」の話
2019-12-04


その前に、医師の中村哲さんが銃撃され亡くなりました。あれほどアフガニスタンを支援していた中村哲さんでした。
タリバンも中村哲さんのアフガニスタンへの貢献について良く知っているので、タリバン報道官は誤解されないように「殺害に関与していない」と声明を出すほどの方だったのです。
残念です。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。

「雉も鳴かずば撃たれまい」
何で東京・足立区に迷い込んでしまったのでしょう。
イノシシは、ただ餌を探し回っていただけのハズなのです。
可哀そうなことをしました。

続いて「浅草寺観音様発祥地」の話です。
下の写真の富山の発祥地の説明文を読んだ次に、飯能の歓喜寺の発祥地の説明文を読んでみて下さい。
富山の説明文は「魚商人が観音様を盗み出し武蔵の国(埼玉の辺り)まで逃げ、そこで船が転覆し観音様は川の中へ投げ出された。」とあります。
次に歓喜時の説明文には、「1人の旅僧がもたらせた観音様が嵐により転覆し、成木川から浅草浦へ流れ着いた。」とあります。
見事に富山から埼玉への説明がつながります。
ということは、本当は富山の観音堂の観音様だったのでしょうか。真実はわかりませんが。

ところで浅草寺は、富山については昭和5年、埼玉については昭和8年ころに認定をしたようです。私が現地へ行って調べたところ、当時の浅草寺執事長であった清水谷恭順師という方が、富山も埼玉も認定していたようになっていました。
昭和5年から昭和8年当時は、浅草寺の観音様のおおもとを調べることが追究された時期だったのでしょうか。
このような観音様発祥伝承は何故か、四国をはじめ4か所程度あるのです。
謎めいていて面白いですね。

富山・砺波の資料写真
禺画像]

埼玉・飯能の資料写真
禺画像]

[浅草の行事]

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