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放送はいかがでしたか。越中 五箇山。
私が結婚した頃は、車1台しか通れないカーブの多い山道を人喰谷を越え、五箇山まで帰省したものでした。
地元の人は慣れているせいか、カーブの多い山道をスピードを出して走るのです。
私は崖下を覗きながらヒヤヒヤしたものでした。
五箇山は、昔は平家の落人が移り住んだためと、江戸時代は罪人の流刑地だったため、また、豪雪地帯でもあったため、交通が非常に不便でした。
流刑地だったため、橋を架けることも許されず、庄川を渡り向こう岸へ行くには、川の両岸にロープを渡した籠に1人づつ乗り渡ったのです。
橋が出来たのは35年前らしいので、私も帰省の折には苦労したことが想い出されます。
でも、大自然の中で不便でもつつましく生活してきた五箇山の人たちと、この自然を私は大好きです。
ですから毎年、数十回となく帰省できたのだと思います。
また、五箇山は有名なこきりこ節や麦屋節、お小夜節など、民謡の宝庫です。
ぜひ、五箇山へいらして下さい。
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