師走になると思い出します
2020-12-31


今日は大晦日。
皆さんのご家庭では新年を迎える準備も終えたことでしょう。
しかし、世の中にはコロナ禍の中で、仕事や住宅も失い、路頭に迷い、令和の世になっても食べる物すら無い人々がいることは報道されているとおりです。
未だに変わらないこの世の中。
私は師走になると、いつも次の詩を思い出します。
全ての人々が幸せな年末を迎えることが出来るようになるのは、いつのことでしょうか。


千家元麿「三人の親子」

ある年の大晦日の晩だ。
場末の小さな暇そうな、餅屋の前で
二人の子供が母親に餅を買ってくれとねだっていた。
母親もそれが買いたかった。
小さな硝子戸から透かして見ると
十三銭という札がついている売れ残りの餅である。
母親は永い間その店の前の往来に立っていた。
二人の子供は母親の右と左のたもとにすがって
ランプに輝く店の硝子窓を覗いていた。
十三銭という札のついた餅を母親はどこからかさすうす明りで
帯の間から出した小さな財布から金を出しては数えていた。
買おうか買うまいかと迷って、
三人とも黙って釘付けられたように立っていた。
苦しい沈黙が一層息を殺して三人を見守った。
どんよりした白い雲も動かず、月もその間から顔を出して、
どうなる事かと眺めていた。
そうしている事が十分あまり
母親は聞えない位の吐息をついて、黙って歩き出した。
子供達もおとなしくそれに従って、寒い町を三人は歩み去った。
もう買えない餅の事は思わないように、
やっと空気は楽々となった。
月も雲も動きはじめた。そうしてすべてが移り動き、過ぎ去った。
人通りの無い町で、それを見ていた人は誰もなかった。
場末の町は永遠の沈黙にしづんでいた。
神だけはきっとそれを御覧になったろう
あの静かに歩み去った三人は
神のおつかわしになった女と子供ではなかったろうか
気高い美しい心の母と二人のおとなしい天使ではなかったろうか。
それとも大晦日の夜も遅く、人々が寝しづまってから
人目を忍んで、買物に出た貧しい人の母と子だったろうか。

(彌生書房『千家元麿詩集』より)
[その他]

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